う、薄い…大変申し訳ありません
グンマって24歳から28歳の4年間で、だいぶ変わったよなー…と
思って…
特にイバラキの前でのグンマを見たすぐあとに
PAPUWAの方の初登場シーンなんかを見たりすると、
「……同……一……人……物……?」
と思います。
上記の違いについては、「アニメと原作ではキャラの扱いが違う」
また、「作者のキャラ観が描いているうちに変わってきた」
というのが本当のような気が、私はするんですが、
それで片づけるのはあまりにも野暮というもの。というか、何かに
敗北した気すらする。というわけで真剣にこのギャップを埋めようと
してみると、ここで考えられるのは、
・4年間でグンマが大幅に成長あるいは退化した
・グンマは意外と場面に応じてキャラが作れる子である
(親族とそれ以外などの区別で顔を使い分けられる)
の2つかと思うんですが、上の絵は「場面に応じてキャラが作れる
子」なグンマを想定して描いたものです。
なぜなら「南国少年」の原作の方では、途中(5巻)からすでに
グンマのキャラ変化が見られるからであり、単に時がたったこと
(加えてマジックがでろでろに甘やかしたこと)によって、グンマが
成長/退化したとは考えにくいからです。
しかし、「多少気を引き締められる」程度ならともかく、あの
背景お花畑状態のグンマが実は自在にキャラを操れるとは
さらに考えにくいものがあります。
さらに言えば、「父親に甘やかされる」というそれまでの人生で
体験したことのなかった(うん……似たようなこと=高松の存在が
あったことは認めます)状況におかれて、グンマの人格に
いささかも影響をきたさなかったということはありえないと
思います。
つまり、「グンマも多少はキャラを作れる/使い分けられる」し、
「4年の間に(甘やかされたせいで)だいぶへたれとお馬鹿にも
磨きがかかっただろう」ということで、二つの説を融合することで、
それぞれの説の無理がなくなるようです……という、なんか
よくありそうな結論にたどりついたわけでした。
しかし私はキリスト教についてのエッセイを書いているべき
時期に、なんでこんな論文風味のブログを真剣に書いて
たんでしょうNE!!それが一番の謎だよ!
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